ヒガンバナ(花)
今年もなかなか姿を見せないと心配していたら
車窓から赤い花が見えたのでいつも咲いている
場所へ雨が降り出す前に行ってみました。
一週間前に確認した時は、まだ影も形もなかっ
た場所に真っ赤なかがり火のような花が、群れ
ています。
高台のこの場所は、春はクロッカス、秋はヒガ
ンバナと球根植物が元気よく咲く場所です。
日当たりと風通しの良いせいか植物だけでなく
猫たちの集う場所にもなっています。
ヒガンバナは、別名曼殊沙華とも呼ばれ、お墓
にまつわるイメージがあるせいか昔はあまり良
い印象を持たれていませんでした。地獄花とか
幽霊花などと呼ぶ地方もあったようです。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言い伝え通り、
彼岸の入りの頃からすっかり風が冷たくなりま
した。真っ赤な花火のような花を見ながら今年
は、花火も見なかったなぁとちょっと寂しく暑
かった夏を振り返りました。
稲刈り
9月に入ってから朝から晩までスッキリと晴れ
た日がないような気がします。
そのせいか、今年の稲刈りは遅れ気味です。
素人目には十分実っているように見えてもまだ
まだ収穫には早い状態なのかなぁと思いつつ
でも台風が来たらどうするの?と余計な心配を
しています。
今の稲刈りは、機械化されて始めてしまえば
あっという間に刈られて袋詰めまでその日の
うちに完了してしまいます。あまりの呆気なさ
に唖然としてしまうほどです。その代わり藁は
粉々になり、稲刈り機の走り去った後に蒔き散
らかされておしまいです。お米も工業製品と同
じようになってしまったなぁとちょっと残念に
感じる瞬間です。
たわわに実った稲が一様に頭を垂れてその姿に
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と人としての
あり方を表現した日本人の心も段々に消えてい
くのかもしれません。
晴天の下、黄金色に輝いて見えるイネの波打つ
田んぼは、お金に換えられない価値を持ってい
ると思うのは、私が、農業の厳しさを知らない
からでしょうか?
ノハラアザミ(花)
山里周辺でよく見かけるアザミの花には大きく
分けて2種類あります。初夏に咲くノアザミと
秋に咲くノハラアザミです。
どちらもよく似た赤紫色の花ですが、ノアザミ
の方が若干花びらの塊がこんもりとしてボリュ
ームがあるかな?と思います。
自然界のエネルギーがピークに向かって行く
季節と日々下り坂になっていく季節では花から
受ける印象も違って見えるのかもしれません。
アザミの仲間は、キク科の植物です。一般的に
キク科の植物は花びらをパッチリと開いた形が
多いのですが、アザミは細い花びらが筒状に固
まった花でパッと見はキク科とは思えません。
最大限、開いても半球状に開くだけです。
秋分を過ぎて日の出がすっかり遅くなってし
まったので今シーズンの早朝散歩はおしまいに
なりました。イネがたわわに実った側でポツン
ポツンとノハラアザミが目につく朝の風景に
「また来年!」と再会を約束して幕を降ろし
たのです。
ゴーヤー(実)
暑い盛りに花をつけていたゴーヤーがたった
1個だけ小さな実をつけました。握りこぶし
くらいの大きさです。
雄花はたくさん咲いたのですが、雌花はほと
んど咲かなかったのでたった1個でも実が
ついて嬉しいです。いたずら心で庭の空いて
いる所に植えて肥料もせずにいたのに実がなっ
てくれただけで万々歳です。
黄色くなってきたなぁと思っていたらある朝
オレンジ色になって皮が破れ、中の赤い種が
見えるようになりました。そのままにして置
いたら父が、後から見て「鳥につつかれた!」
と慌てて教えに来てくれました。父には自然に
弾けて破れたのだと説明しましたが、興味が
ないような様子でしたが、案外気にして見て
いたのだなぁと思って笑ってしまいました。
食べるには小さ過ぎるし、もう熟し過ぎたので
この種は、赤い果肉をきれいに洗って来年また
芽が出るか試してみたいと思っています。
ささやかなお楽しみはまだまだ続きます。
ミヤマガマズミ(実)
春、たくさんの小花を咲かせていたミヤマ
ガマズミが、今は赤い実をつけています。
山にはガマズミの仲間がたくさんあります。
たいてい少し湿り気のあるヒンヤリとした
場所を好んで生えている木です。
赤い実がなっている部分が、春は小さな白い
小花の集まりとなっていました。
この花が見られるようになると山里も本格的な
春が来たと実感出来る季節となり、一番快適で
心弾む季節でもあります。
秋になり、紅葉には少し早い今の時期は、山は
夏の疲れを癒しているように活気がなくなりま
す。でも、よく見れば、少し早いですが、1年
の集大成となる実りの準備をしています。少し
ずつ実の赤さを増し、鳥や小動物、そして人間
たちに存在をアピールすることで新しい命が新
天地に旅立って行くのです。
一般的に植物は自由に移動出来ない、と思われ
ています。しかし、人間の生きている時間とは
全く異なるスパンで生きているということに気
付くと、せわしなく移動している私たち人間の
方が、案外気の毒な存在なのかもしれないと思
えたりもします。
ヤブラン(花)
今年もヤブランの花の季節となりました。
薄紫色の花は小さな実のように見えますが、
実際は花の集まりで実は初冬につきます。
ヤブランは、葉に縞模様があるものとないもの
があります。多くは庭の木々の足元を隠すため
に植えられたり、庭石のすき間を埋める目的に
使われます。暗くなりがちの場所にこの明るい
縞模様を配置すると光が射したような効果をも
たらします。主役ではないけれど良い味を出す
脇役といった感じでしょうか。
ヤブランは、厳密には蘭の仲間ではないのです
が、葉がシュンランなどに似ていることから藪
に生える蘭といった軽い感覚で名付けられてし
まったようです。
暑い夏が去って秋風が吹く今ごろの季節は、風
に揺れるヤブランの葉と涼しげな花色にホッと
します。1年中ほとんど姿を変えることなく、
丈夫なヤブランが、今日の誕生花だとラジオか
ら流れてきたのは偶然の一致でした。
トチ(実)
5月の下旬にたくさんの花をつけていたトチが
実をつけています。
あんなにたくさんの花を咲かせていたわりには
実の数はまばらでちょっと期待外れです。
木の下を歩くと大きな果実が落ちているのが目
につきます。果実は硬い殻に覆われていて中に
はクリに似た種が入っています。果実は大きな
ものは直径6cm近くあり、掌に載せてみると
ずっしりと重みを感じます。
花のころ、青々としていた大きな葉もうっすら
と黄色味を帯びてきています。季節は、確実に
進んでいます。11月になると、葉は黄葉して
晩秋の午後の日差しを受けて金色に輝いて見え
るようになります。
今年は、予定していた楽しみがことごとく中止
になって自粛だらけの1年です。元々そんなに
出歩かない私でも息苦しさを感じているのです
から元気な若い人達はさぞかし不自由を感じて
いることでしょう。
9月もあっという間に半分以上終わってしまい
ました。こうなったら今年はさっさと終わって
もらって来年は良い年になるといいなぁと都合
の良いことを考えています。
<追記>2020.09.26
拾って来た実をしばらく置いておいたら殻に
ヒビが入り簡単に手で割ることが出来ました。
中にはツヤツヤ実が入っていました。
ホトトギス(花)
散歩中にホトトギスが咲いているのを見つけ
ました。
ホトトギスは、普通紫色の斑点模様が入った
花が一般的ですが、この花は紫色が斑点では
なくグラデーションになっていて珍しいなぁ
と思って写真を撮りました。
ホトトギスは、ジメジメした湿気の多い場所
を好む植物です。この日も雨上がりのまだ
雨粒を載せた状態で生き生きと咲いているの
を見て本当に水が好きな植物なのだなぁと
思いました。
ホトトギスは、初夏に特徴的な鳴き声で名高
い鳥類のホトトギスの胸の斑点模様と似てい
ることから付いた呼び名です。この辺りでも
ついこの前まで鳴き声が聞こえていましたが、
いつの間にかパッタリと聞こえなくなりまし
た。もう南の国に帰ってしまったのでしょう。
植物のホトトギスは、これからが最盛期です。
野生種は、紫色の斑点模様ですが、園芸種には
黄色や白色の品種もあります。花が咲くとスズ
メガの仲間が飛来して蜜を吸い受粉します。
このスズメガが、また面白く、吸引する時に
ハチドリのように空中でホバリングするので
面白くてつい時間を忘れて見入ってしまうの
です。
ゲンノショウコ(花)
草むらで別の花を探している時に出会った
ゲンノショウコの花。
赤い花は、ベニバナゲンノショウコと区別
して呼ぶこともあるそうです。
古くからドクダミ、センブリと共に民間薬と
して重宝されてきた薬草です。煎じて飲むと
その効果がすぐ現れるところから「現の証拠」
と書かれ、下痢止め、胃腸薬としてすぐれた
効き目があるそうです。
私が見つけた時は、この花1輪しか咲いて
いませんでしたが、隣りにまだ若い実があり
ました。日本中にありふれた植物で白花もあ
るということですが、最近はあまり見かけな
いような気がします。実は、熟すとカタバミ
の実と同じように果皮が弾けて遠くまで種を
飛ばすように出来ています。この形がお神輿
の屋根の形に似ていることからミコシグサと
いう別名もあります。
ついこの間までとても暑かったのに急に涼し
くなり、私も家族も体調不良です。季節の急
激な変化に身体が戸惑っているのでしょう。
現代のように簡単に薬が手に入らない時代に
頼りにされていたゲンノショウコの花が目の
前に現れたのは季節の変わり目に注意するよ
うに、という何かのお告げかな?と思ってい
ます。
今日の空42
春と秋は朝晩雨がふることが多くすっきり
しない毎日が続くこの地方。
気候が安定しないのと連動するように体調や
精神状態も不安定になり、些細なことで老人達
の機嫌も悪くなります。
やっと涼しくなったので片付けものをしようと
してもカミナリが落ち、食卓に並ぶものに文句
をつけるなど普段なら何でもないことにイライ
ラが始まるのです。
子供の頃は、訳も分からず言われっ放しだった
私も今ではすっかり神経の太いおばさんですの
で、負けずに言い返したりして益々事態は悪化
します。
災害現場からの中継などを観る度に、大量の家
財道具が道に山積みになっている光景を目の当
たりにします。いったい日本中の家々にどれだ
けの荷物が詰まっているのだろうか、と重い気
持ちになります。
「使っていなくても働いて稼いで自分で手に入
れたのだから絶対に捨てない!」と言い張る父
ですが、仕舞い込まれて何年も経ったものは雨
が多いため、靴もカバンもみんなカビだらけで
とても使える状態ではありません。
死ぬまでそのままにして置いても結局、片付け
なければならないのは私です。
自分だけでなく子供も年を取るということが、
すっかり頭から抜け落ちているのです。