お天道様
ようやく雪が止んで青空ものぞいてきました。
先日雪かきをしたのと同じ分だけまた車や玄関
周りに雪が積もっていたのをイチからやり直し
です。
同じ作業でも青空と太陽に炙られながらやるの
は、気持ちが全然違うということに気が付きま
す。車の屋根の雪もドンドン溶けて仕事もはか
どるし、効率の良いやり方が次々と頭に浮かん
で面倒な雪下ろしもちょっと楽しいです。
我ながらどんだけお天道様が好きなんだ、と
突っ込みを入れます。
年賀状の数を絞った結果、目上の方から頂いた
分が2枚ほど足りないことが判明して山の下の
コンビニまで歩いて買いに行くことにします。
徒歩20分のコンビニってコンビニとしての価値
はあるのか?と悪態をつきながら。
歩道の横のバス通りはきれいに除雪されていて
車がビュンビュン通ります。その横の私が歩い
ている歩道はスキー場?と思うほど硬く締まっ
た粉雪。スキーで滑り降りたらラクだろうなぁ
と長靴でポクポク歩きながら考えます。
が、すぐに訂正。行きはヨイヨイ帰りはコワイ
スキーを担いで坂道を登って来るなんて御免
です。
コンビニのちょっと手前で凍りついたため池が
太陽に照らされているのに見惚れて今日のご褒
美ですね、とお天道様に感謝する。
今日の空62
年末からずっと雪が降ったり止んだりして
います。
雪の量はそれほどではありませんが、気温が
上がりません。そのためか、雪質が北海道の
雪に近づいています。
水分の少ない雪は、踏みしめると片栗粉の
ような感触で足裏でキュッキュッと鳴ります。
細かい雪片がたまに通る車の轍や足跡をたち
まち何事もなかったかのように消していき
ます。静かに、絶え間なく。
スギ林は、売れ残ったクリスマスツリーのよ
う。紗がかかったような風景は、明るいよう
な暗いような何とも言えない色で静まり返っ
ています。
冷凍庫の中のような寒さでも時折りスズメが
庭の木々にやって来ます。
こんな寒い日でも野鳥はエサを探しに出かけ
なければならいのです。小さなスズメの群れ
が鳴き交わすのが聞こえます。スズメの体は
羽毛に包まれていますが、それでも寒いだろ
うなぁと想像して身震いします。
この雪では僅かな食料も雪の下に埋まってし
まったことでしょう。動けばエネルギーを消
費してお腹も空くのに動かずにはいられない
生きるための矛盾。
あのスズメたちは、今夜、どこで過ごすのだ
ろう?と想いを巡らすのです。
ナンテン(実)
今年も縁起をかついでナンテンから始めます。
赤いナンテンの実は冬の陽だまりでよく目立
ちます。ナンテンは、常緑の低木でそれほど
大きくはなりませんが脇芽を次々と出し、こ
んもりと葉を茂らせます。特別な手入れも必
要とせず、ほどほどの日当たりがあれば毎年
赤い実をつけます。実は、皮をむいて種を
よく洗ってから蒔くと比較的簡単に芽を出し
ますし、挿し木でも増やせます。
ナンテンは、その音の響きから「難を転ずる」
縁起の良い木として昔から玄関などの側に
植えられることの多い木です。我が家の場合
は、庭の角に植えてありますが、特に手入れ
をしなくても毎年梅雨の最中に白い花をつけ
12月には赤い実をたくさんつけます。葉は、
竹の葉に似ているため中国では南天竹と呼ば
れているそうです。夏の暑い盛りにサワサワ
と涼し気な音を立ててなびく様子はなんとも
涼し気に見えます。
元旦早々雪がまたナンテンの枝葉にこんもり
と降り積っています。赤いナンテンの目の
雪ウサギもこの雪では深い雪の下でしょう。
今日の空61
夕日が山の端に沈んだ瞬間です。
冬は、一日を通して晴れ渡る日はほとんどなく
気温もあまり上がりません。
北極圏に近くなるほど冬の間太陽は高く昇らな
くなりますが、いつかテレビで観た北欧の国々
の冬の風景も薄暗く鬱々とした感じでした。
どこの国に生まれて来るかは運命としか言えま
せんが、ここ数十年戦争がない日本に生まれた
私はそれだけでずいぶんラッキーな人生を送れ
ています。大きな災害に遭ったこともまだあり
ません。
今年は、コロナウィルスの影響でだいぶ不自由
なこともありましたが、それでも食べ物や日用
品もなんとか確保出来ました。改めて有難い
ことだと思います。
日々の生活の中で、私は、ついマイナス思考に
なってしまいます。よく考えてみれば、十分に
足りているはずなのに、不満を抱いてしまいま
す。自分で不幸の種を掘り起こしているような
ところがあるなぁと思います。
今日沈んだ夕日が、明日、朝日となって昇って
来るだけでも本当は幸福なことなのだ、という
ことを忘れないようにしよう、と1年を振りな
がら心に刻みました。
⛄⛄⛄
今年もこのブログにお付き合い頂きありがとう
ございました。
皆様、良いお年をお迎えください!
マサキ(実)
夏にたくさんの花を咲かせていたマサキが年も
押し詰まった今頃、朱色の実をつけています。
花の数に比べると実際につく実は少なく、花の
写真の横には、よく見ると2匹のアリが写って
いるので虫が受粉を手伝ってくれているのでし
ょう。
マサキの果実は花の大きさに比べるとずいぶん
大きいです。花は、5㎜程度なのに果実はその
2倍はあり、熟すると弾けて中から朱色の皮に
覆われた種が現れます。弾けるのはこの辺りで
は12月も半ば過ぎになります。
12月になると、紅葉も終わり、周囲は灰色と
茶色の地味な色に埋め尽くされてしまいます。
天気が良ければ青空が加勢してくれますが、そ
れも時々です。マサキの生け垣の前を歩く度に
鮮やかな色の実がまだ見えないかなぁと心待ち
にしています。そんな私ですが、子供の頃は、
マサキは地味でつまらない木でした。朱色の実
にも全く気がつかず、1年中テカテカした緑の
葉をした木という印象しかありませんでした。
置かれた環境や年齢によって見えたり見なくな
ったりする物事があります。人間の脳がコンピ
ューターと違って複雑なのは心という、つかみ
どころのない摩訶不思議な感情があるせいかも
知れません。
アジサイ(花)
雨にしっとりと濡れて咲いていたアジサイも
半年経ったらミイラ化しています。
あんなに瑞々しかった花弁もボロボロになって
います。でも乾いた透明感はどこか美しい。
人もこの花のように枯れて美しくなることが
出来るのでしょうか?
植物を見ていていいなぁと思うのは誰かと競っ
たり、見栄を張ったりしないところです。
花を咲かせるのも子孫を残して次の世代に命を
つなぐためであって「どうだ!綺麗だろう!」
と見せつけることが目的ではありません。
たまたま私たち人間が勝手に美しいと感情移入
しているだけなのです。
色や形が変わっているのも鳥や虫に生き残りを
手伝ってもらうためです。
人がたくさん所属する組織に長い間いると心が
摩耗してきます。こちらにその気がなくても
勝手に競争心を抱かれたり、都合の良いように
利用されたことに気がついてガッカリして傷付
くのです。
私は、いつも父親の顔色を窺っているような子
供でした。父が、いつもピリピリと緊張してい
たのが怖かったから。
今、父はそんなことは忘れて大抵のんびりして
います。何をするのもゆっくりスローモーショ
ンで時間がかかります。そんな父の傍らで今は
私がピリピリしています。私もいつか、美しく
枯れることが出来るのでしょうか?
イオノプシジウム(花)
夏から秋の間マリーゴールドが植られていた
花壇に、冬の初めに小さな青紫色の花が町内
の園芸好きな方々の手で植えられました。
最初は名前がわからず何の花だろう、と色々
調べていたのですが手掛かりもなくあきらめ
かけていたところ最近名前が書かれた札が立
てられました。誰かが問い合わせたのかも
しれません。
イオノプシジウムという聞き慣れない名前は
なかなか頭に定着しません。花の大きさは、
ヒナソウと同じくらいなので仲間なのかな?
と思ったのですが、ヒナソウはアカネ科で
イオノプシジウムはアブラナ科ということで
全然違う科に分類される植物でした。ポルトガ
ル原産ということですが、今では原産国でも
自生地は激減しているようで保護されている
ようです。
2月からが花期とのことで、それまでに株が
もっと大きくなって花も増えると予想され
ます。1つ1つの花はとても小さいですが、
群生するタイプのようなのでこれからが楽しみ
です。雪があまり厚く積もるとダメになってし
まうのでちょっと心配ですが、新しい仲間に
興味津々の私です。
ツバキ(花)
消えたと思ったらまた夜の間に雪が降りま
した。
ユキツバキではないけれどご近所さんの桃色
のツバキは雪に埋もれて咲いています。
薄っすらと積もった雪で車も玄関も真っ白に
なっています。起きた時は止んでいたので
太陽が昇るにつれて道路の雪はすぐ溶けてくれ
てホッとします。
家じゅうのストーブを点けてもなかなか温まら
ない寒さに雪国の人々のハンディキャップを
しみじみと考えます。
兎に角、温まるための燃料を春から秋の間に
蓄えなければなりません。辛い仕事でもそのた
めのお金を得るためにジッと我慢です。冬にな
れば天気予報に気を配り、明日雪が降らないか
いつも気にしています。降ったら降ったで、た
だでさえ寒くて布団から出たくないのにいつも
より早起きして出かける前に雪かきをしなけれ
ばなりません。ああ!なんてたくさんの「ねば
ならない」があるのだろう。
雪国の人々は粘り強いとよくい言われます。
でも我慢にもほどがあるのでは?
生まれた時からたくさんのハンディキャップを
背負った北国の人々が私はツバキの花のように
愛おしい。
ハクサイ(葉)
冬に欠かせない食材はハクサイです。
鍋料理にはもちろん我が家の場合、両親が
漬物好きなため白菜漬けが度々食卓に上り
ます。
散歩をしていると家庭菜園の畑の横を通る
時があります。冬はほとんど休業状態ですが
ハクサイとネギだけはなんとか育っているの
を見ることが出来ます。先日の雪の後も横を
通りましたが、丁度食べ頃になった株が並ん
でいました。
私は、ハクサイはスープで食べるのが一番好
きですが、アメリカなどではサラダで食べる
のが主流らしいです。
霜や雪の寒さに当たったハクサイは甘く繊維
が柔らかくなり肉類と一緒に煮込むとトロリ
として寒い日にはうってつけです。
天候が荒れて買い物に行けない時、鮭や鯖の
水煮缶があれば一緒に煮込んで味噌で味付け
すれば美味しく頂けるので冬は備蓄を兼ねて
いつも買い置きしている心強い食材です。
ユズの香りのする白菜漬けを今年も母はお正月
用に準備しています。大変だからもうやめて
市販品を買ったら、というのですがやはり自分
の好みの味に漬けたいらしくおぼつかなくなっ
た手で一生懸命漬けているのです。
ススキ(実)
道端の所々には、まだススキの穂が残っていて
風に吹かれています。
小さな種の集まりであるススキの穂は、今では
フワフワになってとても温かそうに見えます。
強い風が吹けばタンポポの種のように風に乗っ
て飛んで行ってしまいそうに見えるのですが、
細かい綿毛同士がからんで意外と飛んで行きま
せん。
夏から穂を出し始め、花を咲かせ、種を実らせ
たススキもそろそろ生涯を終えようとしていま
す。冬が終わる頃までには、気がつくと姿を消
しています。
かつては、ススキやヨシなどイネ科の植物は茅
葺き屋根の材料として利用されていました。
今はすっかり貴重な存在として保護される建築
となってしまいましたが、人里近くで豊富に取
れる材料を利用した先人の知恵の結晶でした。
新しいもの好きな日本人は、簡単に新建材の屋
根を取り入れてしまいましたが、日本の気候風
土に合った屋根は、自然素材の屋根だったの
です。
一度捨て去った技術や文化を再現するのは困難
です。工場で機械が大量生産する物とは違い、
人の手でコツコツと作られる物は、作った人が
命を削って作っているからです。だからこそ、
どこか温かみがあるのです。